
年をとるということ。を以前に比べたらよく考えるようになった。確実に年をとっている証拠だ。今現在の自分自身の立ち位置や経済状況を加味すると、どうしてもネガティブになりがちではあるのだけれども。まぁ、それはそれとして。

年をとるということ。を以前に比べたらよく考えるようになった。確実に年をとっている証拠だ。今現在の自分自身の立ち位置や経済状況を加味すると、どうしてもネガティブになりがちではあるのだけれども。まぁ、それはそれとして。
朝、エンジンをかけがてらスープを啜り、人様のBlogなどを見て回っておりました。ら、まずコチラのBlogに遭遇(お誕生日だそうで)。時折読むとはなしに拝見しておるのですが(如何せん文章が長いので、たまにしか完読できない飽きっぽい私)、年長者の御託も聞いてみようかと思い立ち拝読。「存在の揺らぎ」とか「老いの手柄」はともかく、老いのプロセスに関しては「そういうもんなんだろうな」とフツウに納得。内田氏が冒頭で書いている「「がわ」が爺になっただけで、16歳の私はそのまま手つかずで残っているのである」には、大いに納得。私の場合はたぶん、14歳で止まってる。止まっているというか、そのまま残っている。しかも多分に。

前の晩に更新されたであろう私のお気に入りBlogのひとつであるコチラ。昨夜は別のパーティションのOSで作業をしていたため、更新を見逃していたのだが(メインシステムではRSS登録して、更新されるとすかさずチェックをしている)、こちらも私にとっては似たようなことを示唆しているように感じられた。いや、まったく別のハナシをしているのは分かっているのだけれど、都合良く受け取ってみた次第。
ああ、ベルリンいいなぁ。しかし、KWは無駄にキレイになっちゃって返って入りにくい感じがするのはワシだけか。
まぁさ。生きていれば否が応でも年はとるわけで、これまでの行いが老いた自分に跳ね返ってくるのだろうな。いつまでも、いろんなことを楽しいと思ったり幸せだと感じたりするアンテナだけは錆びつかない程度に持っていたいものですな。
と、いう精神論ならいつでもポジティブなんだけどさ、暮らしが成立するか否かを考えるとネガったり悲ったり(>ないです、そんな言葉)だわよ。

これから、夜の部(労働)に突入する前に風呂/メシ したい日曜日の私であった。スキャンしてる場合じゃないよ。(いつ撮ったのかも覚えていない過去1〜2ヶ月の写真 by CONTAX)
そうそう。昨日オンライン・ショッピングなんかしちゃってさ、ハンドメイドの帽子なんか買っちゃったんだけど、アメリカからの郵便て異様に時間かかるのだよ(あれは、なぜ? 10日〜2週間ぐらいかかんない?)。「でも、まぁ4週間あれば間に合うだろう」とカレンダー見てびくーり。もうあと3週間じゃん(この家を出るまで)。3週間なんてアっと言う間だよねぇ。だからなんだと言われても困るのだが、光陰矢の如し。(違う)
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